闘竜灘川開きと加古川舟運。現代の高速道路
2024年05月01日
闘竜灘川開きと加古川舟運。現代の高速道路
毎年5月1日川開き。鮎漁解禁。
闘竜灘は飛び鮎で有名。
鯉のぼりならぬ「鮎のぼり」がはためいています。鯉のぼりは加東市の名産。鯉が龍になる、まさに登龍門。
天下の名勝闘竜灘は、文豪の愛した地。
谷崎潤一郎が細雪で取り上げ、河東碧梧桐の句が残されています。
ここは「加古川舟運」の地。阿江与助翁が、文禄三年(1594年)に滝野川、慶長九年(1604年)に田高川を開削して、加古川舟運を開発。ここ闘竜灘、滝野から加古川河口、高砂の港までが滝野川。滝野から黒田庄田高まで、佐治川と篠山川が合流する黒田庄船町、田高までが田高川。船町という地名はまさに船着き場、船の町を意味します。ここ闘竜灘は岩盤が硬く、高瀬舟が通行できないために一旦船荷を積み下ろし、積み替えました。滝野は舟運で栄え、ここに新しい町が生まれた。その名も新町。
佐治川、篠山川、加古川を通って、ここ滝野に集まり、高砂に運ばれた丹波、北播磨のお米は、高砂から大坂の中ノ島、堂島米市場に。酒米は灘五郷に運ばれて清酒となって、樽廻船で江戸へ。これを「下り酒」といい、江戸で珍重されました。「下り酒」ではない酒、「下らない酒」は、まさに「くだらない」という言葉の語源になりました。
兵庫県最大の一級河川加古川は「加古川舟運」で沿岸の町や村に富をもたらしました。しかし、加古川の分水嶺は本州で最も低い約95m、どこかで水が滞留し、洪水被害をもたらします。
現在、ここ滝野地区の堤防強化、築堤など加古川河川改修を進めています。加古川水系の安全安心のために全力を尽くしてまいります。
「加古川舟運」は、まさに現代の「高速道路」。様々な物資が運ばれ、行き交いました。闘竜灘で物資を一旦積み下ろす滝野は、まさに現代のインターチェンジ。播州鉄道は加古川舟運に沿って建設され、現在のJR加古川線になっています。
この地域の交通網は江戸時代。新しい地域の発展のためには新しい交通ネットワークが必要です。そこに富が、人が集まり、街が生まれ変わります。神戸に一直線の高速道路が必要です。
新しい交通網建設のために全力を尽くしてまいります。